白鷹と明神岳

遠い昔、ちょうど今の田老鉱山の町の入口近くに、大きな石がデンと座っていました。サルが腰かけていたり、何かに驚いて駆けつけてきたシカが隠れたり、ヘビが長い冬をこの下で過ごしたりで、それは動物に親しまれていた石でした。その石は一つだけ特に目立っていたので、これを誰いうとなく『一つ石』と呼ぶようになりました。その一つ石の下にいつか真白な鷹が住むようになって、497メートルもある明神岳の一本松から、下に広がる下界を見下ろしたり、心地よさそうに山のまわりを舞うようにひらひらと翼を陽に輝かすようになりました。里の人達は、その勇姿を見上げては、神々しさに身中がしびれるような気持ちになったりしました。空を見上げ、鷹の勇姿を見て、なんだか元気が出てくるような気がして、朝の仕事のでがけにそうしたことをお互いに話すようなこともありました。暑ければ暑いなり、鷹を見てはすうっと涼しい気分になり、寒ければ寒いで、鷹の勇ましさに励まされて話合っているうちに、

 「これは、私たちを守ってくださる神さまに違いない」

と思うようになったのも無理がありません。

実際、ある時など過って山火事を出した折、どこからともなく鷹の群れが集まってきたかと思うと、山火事が消えてしまったことがありましたから、

 「山の神の化身だろう」

と話し合ったこともありました。白鷹が山の一角を目指して、まるで矢のように幾度も幾度も突っ込むように飛ぶので、不思議に思ってその場所に行ってみたら鉱石があって、ピカピカ金色に光っていたので、源義経を鞍馬から連れてきた金売吉次の弟吉内が、この山の発掘のために住み着いたとか。そんな意味では、山の化身とも言われましたが、どういう訳か「安産の神様」という人もいて、それはそれは信仰が深まるばかりでした。

 そうした頃、馬場野に住んでいた修験者「四郎兵ェ」が、神仏に仕える身で狩りに出かけたというのです。四郎兵ェはなかなかの弓の名手ですから、サルもシカもウサギもキジも、四郎兵ェがきたと悟ったかさっぱり姿を見せません。そんな事で、四郎兵ェがどんなにもがいても一匹も獲わる訳がありません。四郎兵ェは、不機嫌で帰ろうかと思いながらも、やはりそこはあきらめきれなかったと見えて、空をぐるりと見廻したら一羽の鷹が見えたので、一瞬矢を放ってしまったからたまりません。あの白鷹はスーッと山の深みに真逆落としだ。まるで、吸い込まれるように落ちてしまったのです。四郎兵ェは、まさかあの白鷹とは思いませんから、獲物を拾おうと一生懸命探したのですが、とうとうみつかりませんでした。その内に、ついに疲れ果ててうとうとと木の根に寄りかかり眠ってしまいました。

 「四郎兵ェ」

と呼ばれて、四郎兵ェはハッとしましたが、目を開けようにも目が開かず、しきりにもがいておりました。その枕上で低いながらもはっきりと

 「俺は神の使いの白鷹だ!明神岳の財宝を守るためにこの山にいるのを、お前ごときに射られて不甲斐ない!」

という声が神々しく聞こえました。修験者四郎兵ェは、その言葉が幾度も幾度も耳から離れず、繰り返し聞こえてくるので

これは大変なことになったと、今までの修験者らしからぬ自分の行いを恥じ、急いで馬場野から上飛に居を移し“明神岳”の一本松に祠を建て、『鷹明神』として祀ったのでした。毎年、旧の4月8日、鋤の沢の盛り場は、参拝者でにぎわい、誰が造って奉納したか、金のわらじがあるとか。今でも古い人は、上飛の雲南様と同体と申して、安産の神としてもいるそうです。また、青の滝の“明神崎”に住む鷹は、白く雄で海の守り神としてその勇姿を見せ、漁師は浜の行き来にその英姿を讃えています。

                                               [田老の民話]より